「九州全県縦断マラソン」を走ってきた(1-2日目)
そんな大会があるんだ、と思われたかもしれない。
しかし、これは大会ではなく勝手に走るだけ。
当然、エイドもないのでセルフサポートで行う。
そんなアホな面白いことを考えたのは「マラソン中毒者」の著者としても有名な小野裕史さんだ。
彼は昨年、北海道500km横断マラソンをやっていて、佐賀県でトークライブをやった後の宴会で「今度は九州でぜひ!」と言われたらしいのだ。
そして、その場でやることを決めて、ツイッターに流した。
これにすぐ反応したのが、僕とミタニンだった。
一晩のうちに鹿児島スタート、博多ゴールが決定し、ミタニンは最初のツイートの後、寝落ちしたらしく、翌朝トイレの中で一連のツイートを読み「あれ?なんか決まってる…」と思ったらしい。
2014年7月20日の出来事で、僕にとっては9月のゴビ砂漠マラソン前。
これが決まってからは周囲に「ゴビ砂漠は6日で250kmだけど、GWは8日で500kmだから難易度はGWのほうが上。 ゴビ砂漠を完走しないとGWは走れない」と言っていた。
実際、両方走ってみて、厳しさの種類が違うので、優劣はつけられないと思ったけれど。
GWはやはり、清潔な身体になって、ベッドで眠れたのが大きい。
汚れた身体でテントで凍えながら朝を待つのでは疲労が抜けないのだ。
その後、どうせ走るなら九州全県を通りたいねという話になり、ルートを引いて具体的な検討に入った。
ルートが決まると宿泊地も決まるので、ホテルを押さえた。
安くて、できれば大浴場とコインランドリーがあって、近所にコンビニがあること。
これが条件だ。
寝るだけなので安くて構わないし、身体を伸ばして風呂に入りたいので大浴場は嬉しい。
着替えた後はウェアを洗わなければ次の日に着られないので、コインランドリーは必須。
近所のコンビニは、夜の間に飲む水と次の日の朝ご飯を確保するためだ。
ゴビ砂漠の時もそうだったが、こういうチャレンジで重要になるのは装備。
全ての荷物を背負って走るので、最低限のモノしか持てない。
給水できる場所が何10kmもないことも予想されるので、給水システムは必須。
その他、緊急時はGPSウォッチやスマホなどのガジェットが命綱なので、充電器は絶対。
それ以外は絆創膏やテーピング、胃薬やペインキラー、回復用のアミノ酸、僕はBCAAを持った。
特にこの超ロングステージでは、BCAAを携行していたのは良かったと思う。
ザックはSALOMON S-LAB ADV SKIN 12 SETを使うつもりで「RUN+」に注文していたが、何とM/Lサイズでも僕には小さい。
チェストストラップを最大に伸ばしても胸郭が圧迫される感じで、これは使えないと判った。
ゴビ砂漠で使ったSALOMON SKIN PRO 10+3 SETという選択もあったが、ハードに使っていたので肩のストラップが撚れてしまっており、8日感という長丁場で使うには不安があった。
そのため、今回はちょっと大きめではあるけれど、ULTIMATE DIRECTION FASTPACK20を選んだ。
少し大きめだけど、9月にスペインで行われるスカイランレース「Ultra Pirineu 2015」でも使えるので、出費が抑えられるというのもあった。
その他の装備は次の通り。
ゴビ砂漠で使ったものが多い。
まぁ、こんなの参考に書いといてもやる人なんているんか?と思うけれど(笑)
・ラミースピンドライ(ファイントラック)
・フラッドラッシュパワーメッシュ(ファイントラック)
・製品名不明のタイツ(アシックス)
・フレキシブルショート(ノースフェイス)
・CW-Xアームカバー(ワコール)
・TRR-30G(武田レッグウェアー)
・サハラキャップ(レードライト)
・サングラス(ジンズ)
・ウインドブレーカー(パールイズミ)
以上が走る時の装備で、晩ご飯&就寝用が以下。
・ドラウトセンサー(ファイントラック)
・アセットパンツ(ファイントラック)
シューズはアシックスのライトレーサーTS3ワイドを選んだ。
本来はこんな超長距離で使うシューズではないけれど、僕はウルトラマラソンでも使っていて、過去に実績があり、信頼している。
自分の足と走り方に合っているように感じているので、あまり悩まなかった。
ちなみに小野さんはアシックスのフリークスジャパンで、ミタニンは「RUN+」で勧められたアルトラを使っていた。
ザックは二人とも僕が合わなかったSALOMON S-LAB ADV SKIN 12 SET。
ミタニンには僕が勧めたのだが、現在、ラン用ザックでこのサイズなら他の選択肢はないだろう。
ちなみに全ての写真で僕がサングラスをかけているのは、度付きのメガネがそれしかないため。
ヒゲを剃っていないのは、シェーバーを持っていないため。
全ては軽量化のためなのだ。
スタートは鹿児島空港。
小野さんが飛行機で来るからだが、その日に広島を出発すると、どうやっても10時半のスタートになる。
初日はえびの人吉ループ橋という山越えを含めて70km。
10時半にスタートしたのでは到着が遅くなり過ぎるので、僕とミタニンは4/28の仕事終了後、22時過ぎに鹿児島入りした。
鹿児島駅で合流し、次の日の空港行きのバス停などを確認した後、鹿児島ラーメンの「豚とろ」へ。
ビールでお互いの健闘を祈念した。
ミタニンは「え?飲むんですか?」と言っていたが、どうせ毎晩宴会なのだ。
練習みたいなもんだと言って杯を空けた。
まぁ二人で中瓶2本だったけれど。
【4/29・1日目(合計70km)】
翌朝は7時過ぎのバスに乗り、鹿児島空港へ向かう。
到着ロビーで待っていると、サワちゃんがやってきた。
彼女は20代の女性で、広島県出身。
昨年のしわいマラソン女子の部で優勝するなど、どこかの大会に出れば一桁台の順位でゴールするのが普通というスゴい女の子だ。
僕は2年くらい前に宮島のトレイルで出逢って友達になったが、それ以来の久しぶり。
九州縦断が決まって、彼女ならチームに馴染むはずと思い、誘ってみたら前半を同行することになったのだ。
何よりも男3人で走るのに比べると潤いが違う。
サワちゃん、イントネーションが九州訛りになってるじゃん!とか笑いつつ、小野さんの到着を待った。
小野さんは完全に走る格好のままで到着ゲートに現れた。
判っていたけれど、その姿で東京のご自宅から?(笑)と訊くと、空港や飛行機の中でガン見されましたよ〜とのこと。
空港前の足湯コーナーで記念写真を撮ってからスタートした。
空港から少し走ると茶畑が広がっていて、その上を飛行機が飛ぶ。
鹿児島らしい風景を眺めながら10kmくらいは休憩なしに走った。
時折、道の駅などで休憩しながら、ペースはキロ7分ちょっとくらい。
休憩を含めるとキロ9分くらいで進む。
35kmくらいで鹿児島県が終わり、宮崎県に入った。
ここから初日の文字通りの山場、えびのループに向かう。
動画があったので貼っておくが、身体一つで進むような場所ではなくて、時々歩道がなくなる。
思ったよりも上りが緩やかだったこともあり、最初は走っていたが、時間は14時くらいになっており、汗が止まらなくなったので歩きに変えてもらった。
初日は天気が良くて、午前中も暑かったけれど、午後になると頭がボーッとしてきた。
ここから先の8日間、僕は晴れている日は概ね14時から15時の間に走れなくなった。
寒さには比較的強いが、暑さには本当に弱くて、我慢して何とかできるレベルじゃないのだ。
身体から熱が出て行かなくて、しばらく休憩しないと走れなくなってしまう。
逆に身体が冷えればまた走れる。
この弱点を克服したくて、昨年は35℃を超える猛暑にロングラン練習もしたけれど、未だに克服できていない。
ある程度は体質があるのだと思う。
歩きでも汗が激しくて、ループを上り切った時には水が切れていた。
途中、店はおろか自販機すらなく、小野さんの水を分けてもらって、その場をしのいだ。
下りは体温が上がりにくいし、歩きで身体も冷えたので、再び走り始める。
ここで宮崎県を抜け、熊本県に入った。
最初は下りだから嬉しいなぁと思っていたけれど、10km近く下り続けるので、太腿が疲れて来る。
途中からもういいよと文句を言いながら、やっと下り切ると物産館があったので、水の補給とトイレに行くことができた。
ここではスタッフのお姉様方に馬油と馬油石鹸をいただいた。
僕は知らなかったけれど、馬油というのは筋肉疲労にとても効果があるらしい。
この日の夜、早速脚に塗り込んで眠った。
64kmだから18時前には着くかな?と言っていたけれど、走ってみると縄伸びして70kmあった。
そのため、到着は18時半。
スタートが8時40分くらいだったので、9時間の旅だった。
最後はミタニンがふらふらになるくらい、初日からとてもハード。
距離も距離だが、山越えが疲れた。
到着時間が遅くなったので、速攻で風呂に入り、リラックスウェアに着替えて、ラン用のウェアを全て洗う。
替えのウェアなんてないから、毎日洗って干して、次の日の朝はまたそれを着るのだ。
ゴビ砂漠の時は洗うことすらできなかったので、清潔なのはとても嬉しい。
19時15分には風呂を済ませて、洗濯機にウェアを放り込んで回し、その間に晩ご飯を食べに行く。
のんびりした走り旅のように見えるが、実際は時間的にかなりシビア。
1時間でも遅れると、その分、睡眠時間を削らなければならない。
晩ご飯は一日の最大の楽しみなので弾けるけれど、2時間以内にシュッと食べ終えて、さっさと寝なければならない
場所はホテル近くの「四季」という郷土料理の店にした。
あれこれ検討する時間も気持ちの余裕もないし、何より100m歩くのも億劫なのだ。
ミタニンはかなり消耗しており「食欲ないです」と消極的だった。
しかし、何を言ってる!食べなきゃダメだ!と僕や小野さんが喝を入れ「じゃぁ枝豆…」とか言ってたが、身体はエネルギーを欲していたので、食べ始めると徐々に箸が進んだ。
料理は冷奴、サラダ、豆腐の味噌漬け、馬ホルモン煮、馬レバー刺し、ゴーヤチャンプルなどを食べて、玉子かけご飯で〆た。
この玉子かけご飯が絶品で、ご飯も玉子も旨かったし、少し甘めで具沢山の味噌汁も旨かった。
玉子かけのスタイルが人それぞれで、お互い「こうやって食べるのが一番旨い!」と主張しながら楽しく食べた。
ご飯の後は近所のコンビニで朝ご飯を購入。
初日がキツかったので2日目は少し遅めの6時スタートとしたが、それでも5時には起きてご飯を食べなくてはいけないので、宿のご飯は無理なのだ。
部屋に戻るとすぐに横になったが、身体が興奮していて、脚が熱を持って燃えていて、眠りは浅かった。
夜中に目が覚めて、その都度、2時だからあと3時間は眠れる!とか考えながら再び目を閉じた。
これはゴビ砂漠マラソンの時と同じだが、あの時は寒さで目が覚めていたし、フカフカの温かいベッドの上なのだから随分マシだ。
【4/30・2日目(合計130km)】
2日目は雷雨のスタート。
ゴロゴロと雷が鳴る中、ホテルの近くにあった茅葺き屋根の神社にお参りする。
後から調べると、国宝の青井阿蘇神社だった。
人吉市は山間の街だが、2日目ゴールの八代市は海沿いの街。
コース的には球磨川沿いをひたすら下ることになるが、水分補給は自販機のみ、食料はどこで入手できるか判らなかった。
人吉市は小さな街なので、10kmも走れば民家が徐々に減ってくる。
ダメージは結構深くて、最初は全然身体が動かなかった。
17kmくらい進んだところに「川口商店」という売店があったので、水などを補給するために寄ってみた。
するとここのおばちゃんが「珈琲でも飲んで行き」と言って甘い珈琲を出してくれ、これが疲れた身体に染み渡った。
さらに漬物と熱いお茶も出してくれ、僕が水を買おうとすると「この辺りは水がタダだから売ってないのよ」と言って、湯冷ましの水を分けてくださった。
望外の歓待で、心まで温まった。
その後、35kmまで進んでやっと八代市に入る。
球磨川沿いは景色がとても美しいのだけど、幹線道路は路肩すらほとんどなく、危なくてストレスフルなので、ずっと旧道を走った。
電車沿いなので、2時間に1本くらい電車が走るのだが、それに向かって手を振ると運転手さんが必ず汽笛を鳴らして応えてくれる。
本当に九州は素晴らしいと感激した。
2日目にして疲れが激しく、駅を見かけるとストレッチタイムを取った。
脚も腰もバキバキだったが、僕は何よりも足裏の痛みに悩まされた。
筋肉疲労で足のアーチが落ち、扁平足になるから足裏が痛くなる。
シューズを脱いで足裏のマッサージをしていたら、小野さんが「テーピングしよう!」と言ってくれた。
僕はテーピングがヘタで、自分でやっても効果が実感できないので、ほとんどやったことがない。
そう言うと小野さんは「僕もそうだったけど、アメリカで100マイルのトレイルを走った時、足裏が痛くなって、このテーピングで完走できたんだよ」と貼ってくれた。
するとどうだ!あれほど痛かった足裏がそうでもなくなり、徐々に痛いけど気にならないレベルまで治った。
これには衝撃を受けて、次の日から毎朝、小野さんにテーピングをお願いした。
自分でヘタにやるよりも確実だし、走るのが遅くなるほうがチームに迷惑だからだ。
12時を過ぎて、山の中の川沿いの、景色は素晴らしいけれど同じような道を延々走っていると、向こうからウサギの被り物をしたランナーがやってきた。
そのウサギの被り物は小野さんがいつも被っている物と同じなので、すぐに関係者だと判り、テンションが上がった。
2日目にして初めて、地元ランナーが来てくれたのだ。
タケモトさんとフミヨさんのお二人で、5/3の萩往還140kmにチャレンジする直前だというのに駆けつけてくださった。
しばらく一緒に走って、道の駅「さかもと」があったので休憩する。
時間は13時過ぎだったが、朝から6時間以上運動しており、ルート上に補給できるところがあまりなかったので、お腹が空いていた。
普通のご飯を食べると走れなくなるが、嬉しいことにだご汁があったので、僕はそれを食べた。
ロングのスポーツは何でもそうだが、時間に関係なく少しずつ行動食を食べる。
そこそこ普通の昼ご飯を食べたのは、この日のだご汁と、最終日のミニかけうどんのみだった。
消化が良くて、塩分を摂取できて、ボリュームがないこと。
スポーツをやらない人は「九州なら毎日色んなラーメンが食べられますね」とか言ってたが、そんなの食べてたら走れないし、食べるのに時間がかかり過ぎてタイムロスするし、そもそもこの日のルートは飲食店すらなかった。
さらに15時頃にはタケモトさんとフミヨさんが、車に積んでいたノンアルコールビールなどを出してくれて、大いに盛り上がった。
小野さんがノンアルコールビールを飲んで喜ぶ写真をツイッターにアップしたので、3日目以降もノンアルコールビールを用意してくださる方が多かった。
疲れて来るとこの一杯で妙にリフレッシュできるのだ。
ちなみに本物はゴールしてから。
ウルトラランナーには途中で飲みながら走る人も大勢いるが、小野さんは飲まないし、残りの3人も同様。
コーラが好きな人も多いけれど、我々は誰もコーラを飲まなくて、全員ナチュラル志向だった。
単調な道に苦しみながら60km走って八代市のホテルへ16時に到着。
10時間の旅だった。
初日はフレッシュだったというのもあるけれど、山越えを含めた70kmが9時間だったので、下り基調の60kmで10時間というのは、身体が苦しくて進めなかったことを示している。
ミタニンは2日目でダメージが大きく、脚の痛みは当たり前として、血尿が出始めていた。
ピンクグレープフルーツみたいな色ですと言うので割と深刻だった。
しかし、僕たちのチームにはサワちゃんがいた。
彼女は研修医で、なおかつウルトラランナーなので、一般的な助言でななくて、ランナーとしての限界について、誰よりも適切な助言ができる。
その辺の医者なら走るのを止めろと言うだろうが、当たり前だがその程度で止めるくらいなら最初からこんなチャレンジはやらない(笑)
取り合えず2日目がゴールできたので様子を見ることとして、とにかく時間がないので風呂、洗濯、晩ご飯のルーチンをやらなければならない。
この日はタケモトさんとフミヨさんが店を押さえてくれて、料理も日本酒も旨い居酒屋だった。
小野さんは最近、日本酒に傾倒されているようで、僕は結構ガチで日本酒談義をしてしまった。
普段はお酒をあまり飲まないと自称するサワちゃんも、僕と小野さんがこれ旨い!と飲んでいると、スルスルと杯に手を伸ばし「これはわたしの好きな、カッコいい男の人のような味」とか言ってた(笑)
僕と小野さんは日本酒で意気投合し、サワちゃんもそこに加わり、ミタニンの不安はありつつも、チームの一体感はさらに強くなった。