「九州全県縦断マラソン」を走って来た(7-8日目)
【5/5・7日目(446km)】
ラスト2日になって、ついに小野さんのトライアスロンチーム、イオマーレ・マルティーヨのウェアが届いた。
スタートから着たかったけれど、納品が少しズレたので佐世保に送ってもらったのだ。
結果として、全県踏破したご褒美になって、僕はむしろ嬉しかった。
この日はスタートから12人。
佐世保市から伊万里市を抜けて、唐津市までの53km。
この距離が短いと考えてしまうくらい、6日間走り続けて来た。
脚が痛くないのか?と思われるだろうが、もちろん痛い。
でも少しくらい痛いのは慣れるし、我慢できるのだ。
小野さんと走りながら話をしていて「筋肉痛なんか誤差ですよ、誤差!」と言われて大笑いした。
その通り。
しょせん筋肉痛なんて大した痛みではない。
実際、僕は初日のスタート前から右脚を傷めており、気になっていたのだけど途中でそのことを忘れてしまった。
スタート前は懸念していたが、誤差の範囲だったのだ。
ミタニンのように肉離れを起こすとシリアスな痛みになるので、ロキソニンを服用していたが、僕や小野さんはそういうトラブルはなかった。
ただし、走っていると右のくるぶしが痛いなとか、そういうのはある。
でも走っているうちに痛くなくなり、次は左の股関節に痛みを感じたりする。
そうやって走っている間に痛い場所が少しずつ移動するのだ。
そのまま一カ所が痛くなり続ければ困るけれど、我慢して走っていれば、ほとんどの場合、痛みが抜ける。
これを小野さんに話すと「全くその通りなんだけど、判ってくれる人が少ないんだ」とのこと。
確かに、ここまで追い込んだことがあるランナーは僅かだろう。
僕は「筋肉痛は誤差」を聞いて、笑うほど納得できるレベルまで達したことを実感し、新たなステージに入ったのかもしれないと思った。
いくら人の話を読んでも、聞いても、自分でやり切らなければ判らないことがたくさんある。
それはマラソンに限らない。
本を読んだり、テレビを見て感動しても、全然本質には至らないどころか、中途半端に判った気になる(勘違いだけど)ことのほうが問題と思う。
自分の身体をリアルに動かさななければ、本当の意味の理解には至らないのだ。
さて、この日も大きな山越えから入る。
スタートしてすぐに山を越え、そこから先は比較的フラットになる。
いつもの通り、Google先生の指示に従って走り始める、この日はここって私道じゃないの?と思うような、住宅のすぐ脇を抜けるようなコースが多くて、地元ランナーがこの道は通ったことがないと笑うほどだった。
そして広っぱのような場所に出て、あれ?道はどこだろう?と小野さんが言うので、もしかしてアレですか?と応えると、Google先生によるとそうみたいですね!ということで怪しい道に足を踏み入れた。
最初は道らしいものがあって、先に進めそうに見えたけれど、途中からジャングルと化していて、道がなくなってしまった。
小野さんは「アマゾンってこんなコースなんですよー!」と妙にハイテンション。
いやこれは無理です!と苦笑いしながら引き返した。
そこからは大きな道に戻って、ユルユルと山を登って行く。
歩行者の通行は想定されていないらしく、歩道がないので危なっかしい。
そしてスタートから3時間後、峠のトンネル内で再び佐賀県に戻った。
この辺りで再びミタニンが離脱。
痛みが強くて、皆に着いて行くのがしんどいとのこと。
前日同様、自分のペースで進んだほうが楽みたいなので、後で、と握手で約束し、先に進んだ。
そして、11時半頃、この日もおかわりランしてくれていたニシジマさんが離脱。
いつも明るく盛り上げてくれて、本当に助かった。
また走りましょうと約束して別れた。
晴れていたので、12時を過ぎると暑さが厳しくなり、僕は身体に熱がこもり始めた。
13時半に小野さんの高校の先輩、サトウさんがベンツのオープンカーで移動エイドしてくれて、僕は結構フラフラになっていたので、すごく助かった。
そして14時半過ぎだったと思うけれど、頭がクラクラしてきて、これはヤバいと思ったので、大休憩を取らせてもらった。
ちょうど大きなスーパーがあり、日陰にベンチとテーブルが出ていたので、昨日と同じかき氷を買って来て、ガリガリ食べる。
1個食べ終わる頃には身体が冷えて落ち着いた。
それからは小野さんが日陰が多いコースを選んでくれて、体温が上がり過ぎることなく先に進めた。
ゴールでは何と、地元ランナーの方がビールをご用意くださっていて、ゴール直後にグビリができた。
53kmを10時間だったかな?
小野さんと、ついにグランドゴールが見えて来ましたねとお互いをねぎらう。
この日、ずっと一緒に走ってくれたヒロミさんとニシムラさんにお別れし、ミタニンはどの辺りかな?とメッセージを送ると、結構近くまで来ているではないか。
ホテルにチェックインせず、玄関先で待っていると、驚くほど早く戻って来た。
ナイスラン!と激励し、いよいよ明日がラストだとお互いを鼓舞した。
夜はサトウ先輩の仕切りでイカの活き造りなどを堪能し、大いに盛り上がり、この場で小野さんが来年のGW企画を決めてしまった。
もちろん僕も参加するので、来年のGWも楽しくなるのは間違いない。
僕の周りのランナーの皆様も、ぜひ一部でもいいから、この企画に乗っかってもらいたい。
あまり走れない人は応援エイドをやってくれてもいい。
でも何より最高なのは、一緒に走って、一緒に飲むこと。
毎日走る上、距離が距離なので、ペースは全然速くない。
平均するとキロ7分オーバーなので、初心者でも大丈夫だ。
まだ詳細は詰まっていないけれど、追々知らせるのでスケジュールを押さえておいてほしい。
小野さんは二次会向かったが、我々は十分だったし、早く眠りたかったのでホテルに戻った。
そこで僕は痛恨のミスをやってしまい、スマホの充電も、アラームのセットもする前に寝落ちしてしまったのだ。
【5/6・8日目(500km)】
最終日の朝、目が覚めたのは4時40分。
あれ?今日は何時スタートだっけ?と考え、5時だよ!と気付いた時にはメチャメチャ焦った。
毎日準備に1時間かかっていたので、絶対に間に合わないと思い、遅れる旨のメッセージを送る。
そこから大急ぎで準備し、何とか10分遅れでロビーに降りた。
いやはや、大遅刻にならなくて良かったがマジで痺れた。
何とか5時20分にはスタートし、朝焼けの中、ゴールの博多駅に向かう。
到着予定時間は14時。
ゴールには小野さんのメル友で、御年90歳を越えるおばあちゃんが待っている。
アカタマ砂漠で小野さんとチーム世界一になった、佐々木信也さんの祖母だ。
そのおばあちゃんに母の日の花束を渡すとのこと。
小野さんって本当に最高だと思う。
ホテルを出て、しばらく進むと虹の松原に出た。
延々と続く松林に「もしかして同じところをループしてないよね?」と思わされたが、ちゃんと抜けることができた。
この日は初めて男だけの5人チームで、暑苦しい部活モードになりそうだった。
カメラマンのオカモトさんはいるけれど、彼女は自転車なので少し離れて走るのだ。
そういえば女性ランナーがいないのは初めてだよと言いながら走っていると、タナカさんが友人と一緒におかわりランに来てくれた。
最終日はとにかくミタニンのペースで行こう、最終日なんだから離れて走らないようにしようと決めていたので、ずっと彼が先頭を走った。
途中で歩いたり、ストレッチしたりするのも彼のペース。
僕はもちろんしんどいけれど、最終日とは思えないほどトラブルがなく、問題なく走れた。
ミタニンに脚の状況を聞くと「痺れたような感じで、痛いのかどうかもよく判りません」とのこと。
朝からロキソニンを飲んでいるということもあるだろうが、それにしても痛々しい。
明らかに脚を引きずっているのだ。
しかし、走るときのペースは軽快で、キロ6分で飛ばしたりするので、大丈夫か?と心配になったりした。
不思議なことにフォームは初日よりもずっと良くなっている。
無駄な力が抜けて、着地が安定していた。
僕のフォームも良くなっていると、トロさんが褒めてくれた。
10時半過ぎ「伊都菜彩」という大きな産直市があったので、そこで大休憩を取った。
お腹が空いていたので何か買って食べようとしたが、レジが大混雑だったので、僕は食堂でかけうどんのミニを頼んでお腹に入れた。
他には露店で買ったたこ焼きなどを食べ、トイレを済ませて再び走り始める。
ついにラストシティ、福岡市に入った辺りから同行ランナーが増えて、徐々に集団が大きくなる。
ミタニンは痛みに耐えながら走っているのが見ているだけで判る。
後ろからそれを見たトロさんが「魂の走りだな…」と呟いた。
彼は軽々にそんな言葉を使う人ではない。
僕も大きく頷いた。
そしてついに博多の街中に入る。
店が増え、人が増えたので邪魔にならないよう注意しながら進む。
ミタニンだけではない、もちろん僕も苦しい。
そこにはニシムラさんとヒロミさんの姿が見えた。
ゴールで待っていてくれたのだ。
他にも大勢の人が待ってくれていて、彼らに祝福されながらゴールを迎えた。
お互いの健闘を讃え、固い握手とハグを交わす。
3人で最後まで走り切れた感動は最高だった。
ヒロミさんが祝福のプレートや月桂冠、冷えたワインまで用意してくれていて、感無量の素晴らしい時間だった。
我ながらよく走ったと思う。
その後、風呂に入ってさっぱりし、打上げ会場に向かう。
20人くらいの大宴会だったろうか。
酒を飲むよりも、ご飯を食べるよりも、語り合いたいことが多くて、熱い話をたくさん交わした。
その熱は周囲の人たちにも伝わったと思う。
そして誰よりもミタニンはよく頑張った。
キミは強い男だと讃えた。
サトウ先輩のリードで 二次会はホテルのバーに行き、ピアノの生演奏を聴きながら上等なウイスキーを味わった。
最高の余韻に浸りながら、終ってみれば夢のような8日間だったと感じた。
距離だけでいえばゴビ砂漠のちょうど倍。
過酷さの種類が異なるけれど、ゴビ砂漠以下のチャレンジでは決してなかった。
最終日に同行したヒラモトさんは自己最長距離を達成した。
途中で小野さんにサインを求めてきたアリムラさんは、後日メッセージを送ってきてくれて「今は、まだ10kmくらいしか走れないけれど、11月のフルマラソンをノータイムポチリしました。皆さんがチャレンジしている空間に触れることができて刺激的でした」と書いてくれた。
この日、宗像市から30km走って、ゴールで出迎えてくれたオオムラくんは「僕も同じコースを走ります!」と宣言してくれた。
だから僕は「だったらこれを使いなよ」とタスキを彼に託した。
今回はとても大きなチャレンジだったし、地元の人たちに助けられて結果を出すことが出来たけれど、僕とミタニンはスタート前、走り切れる自信なんて全然なかった
でも諦めずに毎日毎日、ギリギリまで走っていれば誰かが助けてくれたし、何よりも小野さんやミタニンが僕を勇気づけてくれた。
大きなチャレンジをする際、最も必要なものは勇気だ。
そして、真のチームはその勇気をお互いに与え合うことによって、前に進むのだと僕は学んだ。
その勇気が、自らの壁を壊し、次へ進むための力になる。
そして、勇気を与え合うためには信頼がベースになければダメだ。
信頼できていない上司から励まされるのと同じで、信頼関係がない勇気づけは心に響かない。
そして、困難な状況を乗り越えるためには楽しむこと。
僕は厳しい局面になるといつも「さぁ面白くなってきましたよ!」と、笑顔で、大声で周囲に伝えるようにしている。
状況は変えられないけれど、自分の受け止め方は変えることができる。
どうせやるなら楽しいほうがいい。
楽しみながら、笑顔でやるから信頼関係が構築される。
そしてお互いに勇気付けできる。
このルーチンが回り始めると、1+1+1が3以上になるのではないか。
僕の人生において、得がたい気付きを与えてくれた旅だった。
いや、旅というよりも、8日間の短くてとびきり濃厚な人生を一度やり切ったような感覚だ。
小野さんとミタニンはこの人生の伴侶だったし、同行ランしてくれた人たちは親友であり、恋人だった。
人生のほとんどの時間は苦しい。
でもたくさんの人に助けられて、たくさんの出会いと別れがあって、笑顔で人生を終えることができた。
自分のリアルな人生もこうでなければならないと強く感じた。
ちなみにこの日は博多で泊まり、朝イチの新幹線で広島へ戻ったのだが、4時過ぎには自然と目が覚めた。
今日は何時スタートだっけ?と考え、ああそうだ、終ったんだ、もう走らなくていいんだと思うと、胸をかきむしるような寂寥感があった。
自分がどんなに素晴らしい時間を過ごしたのか、改めて思い知った。
最後にオカモトさんが撮ってくれた写真の中で、最後の夜の、最高にお気に入りの一枚を掲げたい。
チームって本当に素晴らしいよ。
こちらも併せてご覧ください!
◆ オフィシャルカメラマン、オカモトさんのブログ
◆ 僕らのリーダー、小野さんのブログ