It Must Be Love

華原朋美の「I’m proud」を聴いていて、この歌は彼女の最高傑作であり、最高のラブソングの一つと思った。
痛々しいという意見もあるだろうが、この際、歌と人生は分離して考えるべきだ。
その後の彼女の人生がどうであろうとも、この歌の素晴らしさが貶されるべきではない。
そして、久々に思い出したのが種ともこさんのこの歌だ。
僕が10代の頃に出会い、今聴いても最高のラブソングと思う。
アルバムタイトルは「みんな愛のせいね」だが、そのままズバリの曲は収録されていない。
ただし、アルバムのメインはこの歌だ。
この歌に限らないけれど、彼女は歌の中で相手のことをあまり語らない。
恋愛を相手のせいにせず、自分の感覚の中で素直に消化して表現しているところが素晴らしい。
簡単に言えば、駆け引きしないのだ。
実際の恋愛に駆け引きがあるのは僕だって判るけれど、どちらかというと枝葉末端に属することと思う。
恋愛っていつからそんなゲームみたいなものになったのだろう。
まぁ、ゲームとして楽しんでいる人たちはそれでいいのだろうが、僕は本気なのがいい。
スポーツだって仕事だって本気のほうが面白い。
適当に遊んでいる人には判らないだろう。
僕が痺れたのは以下のフレーズだ。
ご飯を食べるのも、眠るのも、トイレに入るのも、みんな愛のせいね。
買い物に行くのも、歩くのも、レジで並ぶのも、みんな愛のせいね。
洗濯するのも、歌うのも、アイロンがけするのも、みんな愛のせいね。
ご飯を食べるのも、眠るのも、お風呂に入るのも、みんな愛のせいね。
最初は意味が判らなかった。
なぜ単なる生活が愛のせいなのか。
しかし、何度も聴いているうちにやっと意味が判った。
今の自分の生活は、将来出会うであろう、大切な人のための準備期間なのだ。
だから、生活の全てを整えなければならない。
いつか出会うであろう、素敵な彼女のために。
生活習慣を磨かなければならない。
愛する人と一緒に暮らす時のために。
正しい生活習慣を身につけるために、最も効果的なのは、この一言じゃないかと思う。
「全ては愛のため」というと重苦しいので「みんな愛のせいね」。
僕はそれから少しずつではあるけれど、生活習慣を磨いていった。
今では掃除も洗濯もアイロンがけも料理も全く不自由なくできるけれど、それは自分のためであるのと同時に、愛のせいなのだ。
きっと。
種ともこさんの瑞々しい感性が存分に発揮された素晴らしいアルバムと思う。
今ではたぶん、売られてもいないし、この歌はネットにもアレンジ版しかアップされていない。
でもアルバム版が本当に素敵なのだ。
あなたが今日食べたご飯も、今日という一日をどのように過ごしたかも、全て愛のせいだ。
そう考えることはとても素敵なことだとは思わないだろうか。
全ては「It Must Be Love」なのだ。

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