「やりたい」ではなく「どうやったらできるか」

子供がしばしば口にするのが、・○○食べたい・○○したいだ。

彼らには自ら食べたいものを食べ、したいことをする自由がないので、庇護者にその要望を伝えて叶えてほしいと願う。それは仕方がないというか、当然のことなのだけど、大人にになっても同じ言葉を発する人たちがいて、僕はいつも「やればいいのでは?」と思っている。

何かをやりたいと思ったら、次の瞬間にはそのために何をしなければならないかを考えればいい。もう子供ではないのだから、自分のやりたいこと、やるべきことは自分で決めて、自分で実行するべきではないか。

自分のケースであれば、トライアスロンをやりたいと思った時、スイムが課題だったので、とりあえずプールに行った。25m泳ぐだけで息が上がるような状態で、我ながらどうなることかと思ったけれど、ランだって最初は3kmで息が切れていたのだから、継続していればいつかは大きく伸びる時が訪れるだろうと思って拙い練習を続けていた。

そんな時「大人の水泳教室」というプログラムが始まったことを知り、すぐに申し込んだ。達磨浮きや蹴伸びという超基本からスタートする内容で、とても勉強になった。子供の頃はスクールに通っていたけれど、フォームがガタガタだったので、ここでフォームを改善できた。この教室が僕の今のスイムの基礎になっている。

この時に良かったと思うのは、やりたいと思ってすぐに行動したこと。プールに通っていなければ教室の存在にも気付かなかった。行動したから「大人の水泳教室」に出会えたのだ。

何かをやりたいと思った時に、そこで思考を止めないこと。次の瞬間にはどのように行動するべきかを考えること。そして、何が最善かどうかを考える前に、とりあえずアクションを起こしてみることだ。動いてみなければ何が最善なのかも判らない。動いてから他に最善と思われるやり方があることが判れば、軌道修正すればいい。

自分がやりたいと思ったことを自分で実現しよう。最も悪いのは誰かが実現してくれる、助けてくれるのを待つことだ。

食べたいものくらいなら誰かが準備してくれるかもしれない。でも、白馬の王子や成長を促してくれる上司など、外的要因が人生を大きく陽転させてくれることを待ち続けるのか。

それよりも自ら解決する手法を見つけることが幸福の近道ではないか。結局のところ、人生の諸問題は自分自身が解決するしかないのだと僕は思う。

このページの先頭へ