本を読んで次にすること
先に映像よりも文字から学べと書いたが、それには続きがある。
本を読んで知識を得たらアウトプット(=経験)すること。
これが最も重要だ。
一番マズいのは「いい話だった」で終わること。
それなら本を読んだのも、酒を飲んで昼寝したのも大して変わらない。
読みながらそこに書かれていることについてじっくり考える。
読んでいる途中で「それは違うだろ!」とか突っ込みを入れるのもいい。
僕は読みながら付箋を貼ったり、スマホで写真に撮ってEvernoteに保存したりしている。
重要な学びを箇条書きにしたり、考え方の仕組みをフローチャートにするのもいい。
そして、読了後は内容について思いを馳せること。
僕はランやスイムの練習中に考えることが多い。
走っている最中は邪魔が入らず、頭の中がクリアになるので思索には最も適しているし、僕の場合、それが毎月数十時間かあるからだ。
そして本で学んだ知識を自らの生活でどのように試してみるべきかを考える。
答えが出たらそれをやってみる。
やってみると、そこで初めて書いてあったことの真の意味が理解できる。
さらに、うまく行けば自らの行動が変化する。
もちろんうまく行かないことも多いけれど、それは自分の理解が足りていないのだから仕方がない。
「判っているけれどできないんだよね~」と多くの人が言う。
それは、知り得たことを行動に反映させていないからだ。
僕のやり方は上記の通り。
公式は、知識+経験=知恵だ。
知恵というのは「自らやるべきと考えていることを実行する力」である。
「判っているけれどできない」とは知識を得ても、知恵に昇華できていない状態だ。
それは車の運転を学び、テストで満点をとっても、運転運転免許証がもらえないのと同じ構造だ。
本を読んだだけで「判った」というのは、「正しい運転の教本」を読んで「私はもう運転できるから免許証をくれ」と要求する行為なのだ。
しかし、当たり前だが実際に運転すると思ったようにならない。
優れた人ならばもしかしたら教習所の中は走れるかもしれないが、公道に出ると別格に難しい。
どのタイミングで何に注意するべきか、周囲の車とどのようにコミュニケートするべきかなど、運転技術は大量の知恵を必要とする。
標識が読める、車の操作ができるというのは前提条件。
そこから実際に公道で運転して、たくさんの失敗を経て、やっと運転技術は身に着く。
つまり、実行すること、経験することが全てなのだ。
教本を読んで、授業を受けただけで運転技術は身に着かない。
優れた本を読んだだけ、いい話を聞いただけで人生は1ミリも変わらない。
ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」に「『知恵は人に伝えることができない』ということだ。賢者が伝えようとする知恵は、いつも戯言のように聞こえるものだ」とある。
いくらドラマを観ても、文字を追っても、その次に実行・経験がなければ知恵にはならない。
知恵になっていなければ、自らの行動も人生も変わらない。
つまり「いい話」の主人公にはなれない。
いつまでも「いい話」を聞いて感心するだけの観客だ。
いい話の主人公に自らなろうと思うならば、どんなに拙くても実行し、経験するところからしか始まらないのだ。