萩往還マラニック2014

ウルトラランナーのゴールデンウィーク名物、萩往還マラニックに参加した。マラニックの部は70km、140km、250kmとあるが、250kmは当然だが140kmを走ったことがない人は出走できない。僕は今回、140kmを走った。制限時間は24時間だ。
とはいえ、一応マラニックを謳っているので、歩いても構わない。というか距離が長く、登山レベルの急坂を含むため全部走る人はほとんどいない。
参加するのは日本中のウルトラランナーで、東京や九州からの参加者がたくさんいた。そういう我こそはと思うウルトラランナーが集まるが、完踏率は4割台。しわいマラソンでも6割台なので、かなり厳しい。走り始めたばかりの頃、このレースの存在を知り「頭おかしいだろ?」と思っていたが、自分が出走することになろうとは(笑)
スタートは18時。走り始めてすぐに暗くなる。これはちゃんと走る人のことを考えられたもので、体力がある間に夜が来るのは正解。逆に朝のスタートだと消耗した頃に暗く、そして寒くなるので一層過酷になる。
参加者は450人くらい。つまり完踏者は200人程度と思われる。そのうち女性参加者が2割とのことだから、40人くらいは女性でも完踏するのだ。

【訂正】説明会で聞いた数字を基に書きましたが、結果速報によると出走者は499人で完踏者は291人なので、完踏率は58%でした。
なので女性の完踏者は58人くらいになるかな?

僕は先月の歴史街道ウルトラマラニック80km&さくらマラニック22kmの後、右足裏の指の付け根の肉球部分を傷めており、それが不安だった。
コースは瑠璃光寺をスタートして、防府市まで南下、また瑠璃光寺まで戻って来て、古道である萩往還に入り、そのまま萩まで北上。萩の街中をぐるぐる走って回り、再び萩往還を通って瑠璃光寺まで戻って来る。
エイエイオー!のかけ声と共にスタートして、まずは距離調整用の川土手を少し走って防府市まで。この防府までの道が退屈だった。交通量の多い国道沿いを走るので全然楽しくない。スタート時点では暑かったのが、どんどん寒くなってくる。不安だった右足の痛みは徐々に強くなる。
最初のエイドが20kmくらいにあって、うどんを出してくれるがまだ20kmでうどんは要らないと思い、帰りの40kmで食べることにした。そのまま最初のチェックポイントに向かい、折り返して来た道を帰る。この頃が22時だったろうか。面倒だからウインドブレーカーを出さずにいたら寒さにやられて脚の筋肉がガチガチになってきた。これはヤバい。低体温症になると思う手前でうどんエイド。丸めたらゲンコツの1/3ほどになる、自転車用のペラペラウインドブレーカーを着ると少し寒さが和らいだ。
焚き火に当たりつつ、うどんで内側から温め、支給のおむすび2個のうち1個を食べる。どうも胃の調子が悪くて、食べられなかったのだ。再び走り始めるが胃が気持ち悪くて、時々痛みもあったりして、足の痛みも重なって、時々歩いたりする始末。経験者なら判るだろうが、防府の往復で歩いているようでは全く話にならない。この時点でDNFを意識した。萩往還に入ってしまうと止めることすら難しいからだ。
何とか50kmのエイド&ドロップバックポイントに到着。食べない訳にはいかないのでおむすびを1個だけ食べる。山中はほとんどエイドがないので、ボトルの水を満たす。周囲は絶賛着替え中で、皆、驚くほどの厚着だった。えっ?そんなに着るの?と驚きつつ、ここまでも寒くて凍えそうだったので、内心ビビりまくる。しかし僕はドロップバックを用意しておらず、手持ちのウェアは夏用のみ。仕方なくそのまま出発しようとしたが、ペラペラスケスケの真夏用ウェアを持っていることを思い出した。ダメ元でそれを下に着て、外に出るとほんの少し寒さが和らいだ。これで全てのウェアを着込んだので諦めるしかない。

とりあえず萩往還の道を見てみたいと思い、ダメなら次のエイドでDNF宣言しようと考えた。
ウルトラマラソンの常道だが「取りあえず次のエイドまで」と自分を説得するのだ。
ゴールのことを考えると長大すぎて心が折れる。
目標を小さく分割することが長い距離を走る時のコツだ。

萩往還に入ると真っ暗。
江戸時代の古道なので灯りは全くなく、ヘッドライトと大会公式の前後に着けた青色LEDの光のみ。
足元は石畳、砂利道、腐葉土、階段(踏み面も蹴上げもバラバラ)など目まぐるしく変わる。
遠くは漆黒の闇で何も見えないので、足元だけを見てひたすら走る。
途中、30cmほどの小さな水路や橋があったりして、気を付けないと足がはまってしまう。
これを踏み抜いて捻挫したらアウトだ。

慎重かつ大胆に進みつつ、時折、夜空を見上げて満天の星空に癒される。
身体へのダメージは大きいが、僕はやはりトレイルって好きだな。
ロードは同じ筋肉や腱ばかりを使うので足の痛みが少しずつ強くなるが、トレイルは着地した時に石を踏んだり、着地面が水平じゃなったり、枯れ葉で滑ったりが普通なので、筋肉がほぐされるような感覚がある。
ロードを50km走った後なのに、トレイルの後は足の痛みが軽くなっていた。

とはいえ、深夜2時には寒さの質が変わってくる。
どうやら4度まで下がったらしい。
骨身に沁みるような寒さで、他の人より防寒が弱い僕は本当にツラかった。
出発前に要らないけど荷物にならないからとシャレでザックに突っ込んだラン用手袋がなければアウトだったと思う。
それとエイドで出してもらった温かいミルクティーやお茶、焚き火など。
どれが欠けても無理だったと思えるくらい、ギリギリの体温で山の中を走り続けた。

胃の調子は全然ダメで、50kmにおむすびを1個食べて、やはり気持ちが悪くなり、痛みが出たので、それ以降はジェルに頼った。
ジェルは食べても少し吐気があるだけで、それほど胃が痛くならないので、何とかカロリーを摂取できた。
しかし、1本120kcalでは体温を上昇させるほどの効果はない。
寒さの一因はカロリーの摂取不足もあったと思う。

太陽が出てくれば楽になると思い、5分おきに時刻をチェックしながら我慢の走りを続け、何とか山道を抜けた。
夜明けに自販機でミルクティーを飲み、早朝の萩を走り始める。
朝日を眺めた時は走りながら拝んだ。

そして、ずっとジェルだけで走っていたが、そのジェルも残り数本となり、このままでは復路のエネルギーが足りないことは判っていた。
計算上、120kcalでは1.2km程度のエネルギーにしかならない。
僕は山中の45kmを600kcalくらいの摂取で走っており、身体に蓄えたグリコーゲンはほぼ残っていないはず。
これが枯渇してハンガーノックを起こすと大きなタイムロスまたはDNFになる。

胃の調子は不明だったが、朝8時前に着いた96kmのエイドで一か八かうどんを食べてみた。
ここはカレーライスが有名で、周囲はほぼ全員カレーライスだったが、胃の状態を考えるとリスクが高すぎる。
張り紙にうどん定食と書いてあったのを見て「うどんもあるんですか?」と訊いてみたのだ。
するとうどんとおむすびのセットになると言われ、おむすびはどうせ食べられないので、うどんだけお願いした。

この賭けに何とか勝ち、胃はうどんを納めてくれた。
再び走り始めてもそれほど違和感がない。
助かった!と感謝しつつ、萩の街中に集中しているチェックポイントを回る。
この後はゼリーやバナナなど、消化が良いものを少しずつ食べてエネルギーを確保し続けた。
全てのチェックポイントを回ったので、あとは再び萩往還に戻り、35km先のゴールを目指すのみ。

周囲の経験者に訊くと、7時間も残っているのだから十分余裕があるとのこと。
しかし、僕の体調は綱渡りのようにデリケートだし、右足の痛みは全く抜けていない。
ゆっくりでも走ろうと思って進んでいると、11時頃に70kmコースの人たちがコースに合流してきた。

250kmの人たちとはしばらく前から合流していたが、僕たちより24時間前、丸々2日間、寝ずに走っているのだから喋る力が残っていない人もいた。
今すぐ昏倒しても不思議じゃない状態で走っていたりする。

そこへ朝6時にスタートした、フレッシュなランナーがどんどんやってきて、すれ違う際、口々に「お疲れ様です!ナイスランです!」と声をかけてくれるのだ。
おそらく主催者側から140kmと250kmの選手を労うように言われているのだろう。
そして、その声援は確かに大きな力になった。
僕は一度「おかえりなさい!」と言われて、目頭が熱くなったけれど、泣くのはゴールしてからだと言い聞かせて走り続けた。
足裏の痛みは右も左も強くて、ヒールストライクで走ると少し楽だなどと考えつつ、残り30kmを過ぎたくらいだろうか、左足の足底筋が切れたような痛みがあった。

うわっ!と驚いたが、どうやら筋断絶ではなさそう。
筋膜か腱だろうなと思いつつ、誤摩化して走ったり歩いたりしていると、今度は左膝に来た。
110km以上、右の足裏を庇い続けた負担もあったのだろう、痛みの質がヤバいと感じた。
右足裏の痛みは追いやって構わないレベルだったが、左脚は向かい合わないとマズいタイプの痛みだった。

計算上は歩いても完踏できる時間と距離だが、骨折のように体重が全くかけられなくなれば残り1kmでもゴールできない。
炎症をなるべく押さえ、ゴールまで保たせるだけの慎重な歩きに変更した。
とはいえ、タラタラ歩いていたら当然間に合わない。
ダメージの拡大を最小限に抑えつつ速く歩くという、これはこれで難儀な作業だった。

しかも残りが30km弱ある。
そして後半に萩往還の激坂トレイルが待っている。
僕はとても不安な気持ちだった。
1時間5kmくらいのペースで歩き続けたが、当然ながら痛みは徐々に酷くなる。

残り10kmくらいで左膝がグラグラして少しでも力を入れると痛むようになった。
左の甲は腫れているらしく、シューレースを少し緩めてやったが、ズキズキと痛みが強い。
ソックスを脱いで患部を見ると萎えそうなので見ない。
小指も死んでそうな痛みがあるけれど、これも見ない。
そんなものを見ても、ゴールが近づく訳じゃない。

最後の萩往還の下りは本当に泣きたいほどだった。
斜度が強すぎて一歩毎に激痛があり、どうやっても下れないのだ。
立ち止まってしばらく考え、後ろ向きに下った。
周囲のランナーは怪訝な顔をしている人もいたが「膝ですか〜」と声をかけてくれる人もいた。
ウルトラランナーなので経験者も多いのだろう。

永遠に続くかと思われたトレイルの下りが終わり、残り3kmのロードに向かう。
この時点まで何とか脚を保たせたのだから、ゴール後は歩けなくなってもいいと思えるペースで歩く。
もちろん後続のランナーには次々に抜かれたが、僕は僕のレースをするしかない。

瑠璃光寺の手前からたくさんの観客が出迎えてくれ、口々に「おかえりなさい!」と声をかけてくれたが、僕は泣かなかった。
ゴール手前では、途中のエイドや道の上でよく一緒になった友人が出迎えてくれた。
彼には残り15kmで抜かれたのだ。

ラストは無理矢理のスパートでゴール。
23時間10分だった。

完踏という当初の目標は達成したし、体調が悪い中ギリギリの管理で走れたことは収穫だった。
しかし体調管理も実力。
また、足底筋を傷めるなんて走り込みが足りていない証だから、ランナーとして恥ずかしいことなのだ。

ゴール時点で35時間くらい起きていたことになるけれど、激しい運動を続けていたためか、全く眠くならなかった。
この後、風呂に入って晩ご飯を食べに行き、眠ったのが22時過ぎなので、40時間近く起きていたことになる。
僕は基本、夜に弱い人だが、走っていれば徹夜できるということか。

最後に今回の気付きを少し。
これはウルトラマラソンのテクニックの一つではないかと感じた。
それは「すれ違う選手や追い抜く選手に声をかけること」だ。

かけ声は「お疲れです!」が最も差し障りがない。
「ファイト!」だともっと頑張れという意味に受け取れるので要注意。
追い抜く時には「しんどいですね〜」というのもいい。
ツラいのは自分だけじゃないと共感できて、少し気持ちが軽くなる。

そうやって声をかけると相手じゃない、自分が元気になれるのだ。
さらに繰り返していると相手が覚えてくれ、親切に声をかけてくれたり、並走時の話し相手になってくれたりする。
胃薬あるよ?とか、痛み止め要ります?とか、レッグウォーマーなら余ってますよ!とか、あっ!そっちはコースじゃない!とか、皆が助けてくれる。
走ることは僕しかできないけれど、周囲のサポートを得れば孤独な戦いではなくなる。
ゴール後も何人かから「お疲れ様でした!」と笑顔で声をかけられた。

これはお互いに素晴らしい効果があり、何一つ損をすることがないのだから、多くのウルトラランナーに勧めたい。
さすがにフルマラソン以下の大会では厳しいけれど(笑)

今回の反省は途中から歩いてしまい、全力を出し切った感がなかったこと。
限られたリソースを活かしてゴールするという戦略的には成功したが、ランナーとして爽快感に乏しい。
僕が最後に泣かなかったのはそれが理由だ。
実は少しウルッと来たが、最後でグッと我慢した。

泣くのは今回じゃない。
次こそは最後まで走り切る。
それまでお預けだ。

このページの先頭へ