大人の遊びは本気でやるから楽しい

今年も周南24時間が迫ってきたのでメンバーを募集していて、僕がいつものように「楽しんで走ろう!」と書いていたら、楽しむという割にはガチっぽいと指摘された。

あーなるほど、僕の中では楽しむこととガチで走ることはイコールなのだけど、人に伝える時にはもっと丁寧に説明しなければならないなと思ったので、そのココロを書いてみることにした。

僕が誘っているのはいわゆる「遊び」だが、遊びを楽しむとはどういうことか。ゲームに例えてみよう。どんな種類のゲームでも構わないが、誰でも簡単にクリアできるゲームをクリアして楽しいだろうか。楽しさはゼロではないだろうが、大して楽しくはないはずだ。

しかし、それなりに難しくて、努力を要するゲームをクリアすれば達成感、喜び、楽しさはずっと大きい。楽しさというのは本気で取り組んだエネルギーに比例する。

また、中途半端にチャラけながら、茶化しながらやるのが遊びだと思っている人は高校生か、せいぜい大学生レベル。その内側には、・本気でやって友人に負けるのは嫌だから。・一生懸命がかっこ悪いと思うのは、自分の限界を周囲に知られるのが怖いから。・努力せずに達成できることが才能だから(と思い込んでいる)このことについて才能がないことを周囲に知られたくないから。という思想が透けて見え、とても浅薄だ。

そんな子供たちは同じような仲間で集まって傷を舐め合ったり、足を引っ張り合っている。当然、互いに凄いとか羨ましいとか思わせるだけの力はない。

僕がやろうとしているのは大人の遊びだ。全力でやるのは大人である以上当たり前。そしてそこまでやるから面白いし、楽しい。

・友人との優劣よりも、過去の自分に勝ちたいと考える。・全力でやって目標を達成できなければ、その自分を丸ごと受け入れる。・自分がやりたいと思ったのだから、才能の有無など考えず、前向きに取り組む。

子供と大人の最大の違いは、他人の評価を気にしないところ。自分がやりたくてやっていることなのだから、他人がどう思うかは全然関係ないのだ。

さらに大切なのはしかめっ面で遊ばないこと。遊びなんだから笑顔でやらなければ面白くない。これは最も重要だ。

そんな大人が集まって遊ぶと互いに「あの人はすごい!」と影響を与え合う。影響を受けた人はその人に教えを請うなどして、その後の練習内容やレベルが変わるので必ず伸びる。つまり、本気で遊ぶ大人は伸びる。

遊びだろうが何だろうが、やる以上は伸びなければ、上達しなければ面白くない。これをワンフレーズにすると「楽しんでやろうぜ!」ということになる。こうやって書いてみて、我ながら確かに伝わりにくいとあらためて反省したところだ(笑)

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