メメント・モリ
昨夜遅く、友人が亡くなった。
広島市出身のフードライター、ラーメン評論家の北島秀一さんだ。
しばらく前にFBで申請があって、そういえばこっちでは繋がっていなかったですねとメッセージを送り、彼の現状をリアルタイムで知ることとなった。
その後、体調を崩されたようだけど、お母様を亡くされて、そのことが原因と書いてあったので、最初は真に受けていた。
そして8月18日20:10、結果として最後となるツイートが投稿された。
先日ラーマガでも書いたけど、「もう一度食べたいラーメンを一杯だけ」と言われて真っ先に浮かんだのは今は無き芳来@渋谷だった。
「じゃあ現存していてまた食べたラーメンは」と自問したらぱっと浮かんだのは陽気@広島市だった。食べたいなあ。
僕はそれに対して、5分後に
いつでもお帰りなさい!ですよ!
と返したが返答はなかった。
これが最初の不吉な予感だった。
彼はもう食べることができないと判っていたのだ。
先ほど山路さんの記事を読んで理解した。
敢えてそのことを書かなかったのが彼らしい。
その後のFBの投稿は不吉な印象が強まるようになり、一週間ほど前に悪い知らせがあった。
ここに至ってやっと、僕はもしかしたらもう会えなくなるのか?と焦り始めた。
先週末、日記代わりに毎週末投稿しているFBに何も書かなかったのは、悪い知らせの直後で、どうしても書けなかったのだ。
絶飲食とのことだったが「陽気」の香りだけでも楽しんでもらえたらと考え画策していた。
これほど急に病状が悪化するとは思っていなくて、ゴビ砂漠マラソンから帰国したら「陽気」を手土産にお見舞いしようと思っていた矢先だった。
FBの申請があった日付をみると余命宣告を受けた後で、僕に自分の最後を伝えようとしたのだと判る。
タイムスタンプは午前2時半。
もしかしたら苦しくて眠れない病床から送ってくれたメッセージだったのではないか。
あれは彼の別れの挨拶だったのだと今さらのように気付く。
カッコつけすぎだよ、しうさん。
でも彼はそういう人だったのだ。
あなたが生きている今日は、昨日誰かが生きたいと願った明日。
今日は一日、この言葉を噛み締めた。
抽象的な「誰か」ではない。
北島秀一という具体的な友人のことを考えたのだ。
でも彼は自分のために悲しんでくれとは決して言わないだろう。
「シャオヘイさんはシャオヘイさんの人生を精一杯、楽しんで生きればいいんですよ」
僕は彼の表情も声色も、動画で観るように目に浮かべることができる。
まだ事実に気持ちが追いつかなくて文章がまとまらない。
僕たちは素晴らしい人を失った。
ラーメンの世界においても、広島の食文化の世界においても。
彼ほどロジカルで、情熱的で、ダンプカーのような圧しのある文章を書ける人を僕は知らない。
今夜、久しぶりに「陽気」を訪れると定休日だった。
そんなことも忘れるくらい僕はご無沙汰していた。
明日は追悼の気持ちを込めて味わいたいと思う。
それは、彼が食べたくても食べられなかった一杯なのだから。