ゴビ砂漠マラソンレポート(ETAP2-3)
1日目が終わった後、僕はゲルの中でストレッチして過ごした。
2日目にダメージを残す訳には行かないので、丁寧に身体をほぐす。
痙攣までやってしまったのでダメージを抜くのに時間がかかった。
あとから考えるとこれは初日だから良かった。
2日目以降は一人用の狭いテントになるのでストレッチも十分にできなかったのだ。
初日にそこそこ突っ込んだのは正解だった。
様子が判らない時こそ出し惜しみしないことだ。
一晩眠ると、何とか表面上のダメージは抜けたように感じた。
この日からバヤンゴビを南下し、5日かけて戻って来る。
その間の4泊はずっとテントで寝泊まりする。
当然、シャワーはない。
トイレもないため、悠久の大地で用を足すことになる。
ゴビ砂漠の特に草原部分は家畜のウンコだらけなので、大して気にならなかった。
2日目はスタート直後にデューン(=砂丘)を越える。
比較的砂は締まっていたものの、走り始めると脚を取られる。
コースは初日に比べて起伏があり、足元が悪い。
20cm四方に1つくらいネズミの穴があり、様々な草が生え、ゴツゴツした石が転がり、人の手が入っていない剥き出しの自然の地表を走る。
この日以降、ピスト以外の場所はずっとそんな感じになった。
そんな中で修造は走りながらスピーカーで音楽を流していた。
ファレルの「ハッピー」だ。
お試しの初日が終わり、本格的なレースが始まる2日目に景気の良い音楽は本当に嬉しい。
荷物が重くなることも厭わず、こういうエンジョイを大切にするのは本当に素晴らしい。
眉間に皺を寄せて黙々と走るだけがレースではないのだ。
修造に気分転換の感謝と、キミは最高だ!とリスペクトを伝え、先頭集団をロストしないよう、後方から追いかける。
前日のダメージで身体が重く、非常に苦しい序盤だったが、A-2(12km)まで粘って追いかけていると、やはり先頭は5人に絞られた。
A-2で杉ちゃんが水一杯飲んでほとんど止まらずに飛び出し、それを鵜飼さんが追ったが、丸ちゃんは「いやぁ無理だわ」と言いながらエイドに留まった。
彼は勤務医で、出発直前まで激務だったため体調が整っていなかったようだ。
彼の本領が発揮されるのは4日目以降になる。
その後、第一集団が杉ちゃんと鵜飼さん、第二集団が丸ちゃん、ガタさん、僕だったが、丸ちゃんが少しずつ抜け出し、僕とガタさんが追走する形となった。
A-6(36km)までは前後しながら走っていたが、ここでガタさんが「俺はゆっくり行く」と言うので、少しペースを上げて丸ちゃんを追いかけた。
この日、ラスト4kmくらいのコースが非常にトリッキーで、ピストを外れた背の高い草むらの中を進むよう設定されていた。
進むべき方向が判りにくく、コースロストしないよう、慎重に進む必要があったが、幸いなことに2分弱の差で丸ちゃんの姿を視界に捉えていたため、迷うことなくゴールすることができた。
鵜飼さんはここで痛恨のコースロストし、杉ちゃんと25分の差をつけられ、首位を奪われていた。
僕は初日、4位のガタさんに2分の差をつけられていたが、この日で逆に9分の差をつけた。
約80km走ってこの差である。
ステージレースがどういうものなのか、やっと僕にも判ってきた。
2日目の夜はテント泊。
18時には晩ご飯を食べ、20時にはテントに入った。
スーパームーンの素晴らしい月夜だったが、それ以外の明かりがないのですることはない。
眠らなくてもテントで横になっていれば身体が回復するので、無理にでも横になり続けた。
翌日はやはり6時半に朝食、8時スタートの予定だったが、主催者側の配慮で5位までの選手は9時スタートになった。
僕はこの時点で4位だったので9時までゆっくりできる。
その他の選手がご飯を食べたらすぐにテントを撤収し、大急ぎでパッキングし、今日の補給食や水を準備する中、のんびり過ごすことができた。
8時に彼らのスタートを見送った後、テントを片付け、ゆったりと準備してスタート地点に立つ。
この日のコースは大きなアップダウンが2度あり、登りの割合がとても多い。
最高で2,000mの高地まで進むこととなっており、登りに弱い僕には苦戦が予想された。
最初は5人で和気藹々と進んでいたが、A-2(12km)の次の登りで杉ちゃん、鵜飼さん、ガタさんの3人が前に出た。
ここで追走すると自分のペースが崩れると思ったので敢えて遅れる作戦を取った。
丸ちゃんはこの日も疲れが抜けておらず、マイペースで淡々と走っていたので、彼と前後しながら走り続けた。
A-5(30km)辺りで大を催して適当な場所がなかったのでしばらく先に進み、草むらがあったのでその陰で用を足したのだが、その間に丸ちゃんが追い抜いて先に行ってしまった。
ゴールした後「全然隠れてなくて、ケツ丸出しでしたよ」と笑われてしまったのだが。
ここからゴールまではずっと登りで、周囲の植生も変わってくる。
高山植物が小さな花をつけているが、その写真を撮る余裕もない。
これだけ長い距離を走っていても、差が付くのは走力以外の部分が結構大きい。
杉ちゃんが「ステージレースは駆け引きですよ!」と指摘していたが、徐々にそのことが判ってくる。
コースは迷いようのないピスト沿いだが、遥か前方まで見通せて、延々と登りなのは精神的にとてもつらい。
そこを先行した選手がケシ粒のような姿で動いているのが判る。
思い出すだけで苦しいコースだった。
途中、ぎんちゃんを追い抜いた時、膝が痛くて下れないと言っていた。
萩往還の僕と同じだ。
とはいえどうしてあげることもできないので、ダメならロキソニン飲みなよと言い残して先へ進んだ。
その後、強烈な下りがあったので、ぎんちゃんは大丈夫だろうか?と思いながら駆け下りた。
僕にとっては最も苦しい3日目が終わり、ガタさんには15分ほど差をつけられた。
丸ちゃんは僕を抜いた後、ガタさんに追い付いて2人同時にゴールしたようだ。
先頭の二人は最後までデッドヒートを続け、杉ちゃんが2分差で勝っていた。
トータルで僕は再び5位に落ち、ガタさんとの差は6分になった。
この日、僕はゴールした後、椅子に座ってしばらく動けなかった。
20分ほど休んで、やっとテント設営する元気が出たくらいだ。
ぎんちゃんはボロボロになって帰って来て、ゴールするなり倒れ込み、涙ながらに走り切れて良かったと喜んでいた。
ガタさんは大きなマメが出来てしまい、丸ちゃんに処置を頼んでいた。
丸ちゃんも爪の下に血マメができていたが、平然と爪に穴を開けて処置していた。
僕も小さなマメはできており、杉ちゃんにも僕と同じくらいのマメがあった。
まだ130kmでレースは半分だが、誰にもダメージはあった。
この夜は2,000m近い高地ということもあり、気温が0.6度まで下がった。
寒くて眠りが浅く、疲労も蓄積して、厳しい夜となった。
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